エイトスター・ダイヤモンドの歴史

エイトスター・ダイヤモンドの誕生はダイヤモンドの世界に未だかつてかつてない旋風をまきおこしました。
ダイヤモンドの命ともいえる「輝き」。そのあるべき「最高の輝き」は「完璧なカット」でしかもたらされないことが証明されたのです。ダイヤモンド界での革命ともいえるものでした。革命の張本人は宝飾の世界とは無縁の、まったくの素人でした。
多くの成功者がそうであるように、何かを成し遂げるための条件は、とことん追い求める強い探究心、深い考察力が必要ですが、さらに加えて、エイトスター・ダイヤモンドの開発者である田村駿禮たかのり(現:熾鴻たるひろ)の内に備わっていたものは強い正義感でした。
ダイヤモンドの最高の輝きを追及し続け、さらに、その内に秘められたエネルギーの解明にまで真実を求めて歩んだ物語の幕開けは、ある一人の知人が田村を訪れた事から始まります。エイトスター・ダイヤモンドが誕生して何年も経て、エイトスターに触発、牽引されたかのようにダイヤモンド業界でのカットの重要性への意識改革は少しずつではありますが歩みを始めます。

ダイヤモンド ストーリーはこうして始まった…

1977年9月

起点

知人の紹介である男が極め付けのダイヤモンド(アイデアル・カット)だと言って売りに来る。1919年トルコフスキーというカッターが発表した理論通りに磨かれた『アイデアル・カット』と呼ばれ特別なダイヤモンドだとアピールする彼。カットの理論は理解できたが、田村は、
「世界で一番美しいダイヤモンドはいいけど、俺、ダイヤモンド大嫌いなんだよ。ダイヤモンドは全てが不明瞭でインチキ商品にしか見えない。そんなに言うならば、本当にキレイなダイヤモンドっていう証拠を見せてよ…!」と断る。 7年後、見せたいものがあるというので、彼の事務所を田村は訪ねた。 田村の人生を大きく変えるきっかけとなった器具、ダイヤモンドのカットの良し悪しが一目見て分かるというものだった。
1984年3月

ファイヤースコープとの出会い

ファイヤースコープはダイヤモンドの美しさ、つまり、カットの良し悪しを明確に判別できる器具だった。当初、彼の望みは市場での器具の販売。幾度も説得に通い詰めてきた。田村はある思いで決意する。

  • この男の為に
  • いい加減に磨かれているダイヤモンドの為に
  • いい加減に磨かれているダイヤモンドを買わされている消費者の為に
1984年6月

ファイヤースコープの販売活動開始

ファイヤースコープのお眼鏡に叶うダイヤモンドは皆無だった。器具で見ると、一流宝石店の質のよいと謳われている高価なダイヤモンドさえ、カットの状態はヒドイものだった。さらに、一つとして同じカットのものがなかった。器具は『質の悪い=まともに磨かれていないダイヤモンド』であることを明かすものとなってしまった。つまり、器具は「完璧なカットのダイヤモンドは市場に無い」ことを証明した。
1984年12月

美しいダイヤモンドを求め渡米

ファイヤースコープの基準に見合う(完璧を証明する保証書を含め)、完璧に磨かれたダイヤモンドを求めて本場アメリカに通い詰めた。しかし、長い歴史を持つダイヤモンドのカット工場でも一つも見つけることはできなかった。あるカッターのスペシャリストがカットを申し出たが成功しなかった。残された道は、田村が自力で完成させる事だった。
1985年4月

カッターのスペシャリスト、マスター樋口との出会い (1985年7月 カット工場スタート)

正に研磨するために生まれてきた寡黙な気質の職人とやっと出会う。この人なくして完璧なカットのダイヤモンドは誕生しなかった。エイトスター産みの父との出会いだった。
マスター樋口は現在も尚、エイトスター・ダイヤモンドを磨き続けている。
1985年10月

エイトスター・ダイヤモンドの完成

ファイヤースコープの基準を満たすダイヤモンドがようやく完成。 その完璧なカットを施したダイヤモンドには8本の矢(星)が浮かび上がっていた。そこには、宇宙の真理が現れていた。

古代シンボルとの合致 – 時空を超えた古いにしえとの繋がり

  • 宇宙の真理を表す易学の「正八角方位図」
  • 太陽を表す仏陀のシンボル「輪宝」
  • 古代アステカの石に刻まれた暦「太陽の石」
  • 賢者の石のシンボル「ダビデの星」
1985年12月

東京の四谷にショールームオープン

建物の入り口右手には椿神社よりお迎えした猿田彦大神を祀る小さな社が設けられている。セールス時代の経験から田村はこの場所への思いを強くしていた。迎賓館や東宮御所東京へも 徒歩数分、東京の主要な繁華街へも交通の便が良く最適な場所だった。 ショールームは知人のスウエーデン人デザイナーが手掛けた。
1986年11月

『アウト・オン・ア・リム』との出会い

人生における出来事や体験は、自身が知るはずのない、コントロール出来得ない(スピリチュアルな)世界が起因していることを、自身の神秘的な体験を通して紐解いたハリウッド女優のシャーリー・マクレーンの自伝『アウト・オン・ア・リム』。精神世界の存在を世に広めたこの本は田村のもとにも届けられ、見えない世界へと誘った。エイトスター・ダイヤモンドの誕生に秘められた見えない世界の意図を明かす起因となった本。
1986年12月

戒壇院(比叡山延暦寺)釈迦如来坐像へのエイトスター奉納依頼

仏像彫刻の第一人者である西村公朝(にしむらこうちょう)先生が来店。
比叡山延暦寺の1200年目の御開帳の祭を機に、戒壇院かいだんいんの釈迦如来坐像(最澄の没後1200年前に造られた仏教界では意味のある仏像)復刻を手掛けているとのお話。そして、仏像の第三の眼(百毫)と、頭頂(肉髻珠)にエイトスター・ダイヤモンドを入れたいという申し出だった。歴史・格式ある世界では本来は、この類の仕事は何代も続く専門の宮大工が行うことが常。縁のない無名の会社に白羽の矢が立つことは奇跡だった。

※戒壇院(かいだんいん):天台宗の僧侶が受戒する重要なお堂

1987年4月

修復後に現れた釈迦如来像の太陽線

エイトスターのカットが施された人工ダイヤモンド(キュービック・ジルコニア)2石は、第三の眼が約40カラット(2.2cm)、頭頂が約100カラット(3cm)に相当するかつて無いサイズが奉納される。
復刻を終えた像を戒壇院に納める前夜、西村先生は入れた覚えのない手相「太陽線」がお釈迦様の手の平にくっきりと現れていることに気づく。表面を覆っている金箔は一切伸びず、後から新たな手相が入れば金箔は裂けるはず。しかしそれは完璧な線として存在していた。

※西村先生がエイトスター・ダイヤモンドを初めてご覧になった時、その中に現れた姿・形がお釈迦様の説く宇宙の姿そのものだと表現された。そのお話がきっかけで生まれたのがオリジナルのペンダントデザイン「輪宝」である。

1988年5月

ケヴィン・ライアーソンとの出会い

『アウト・オン・ア・リム』に登場するチャネラーのケヴィン・ライアーソンに突然に縁が結ばれる。アメリカ在住の友人の紹介だった。ケヴインにエイトスター・ダイヤモンドの簡単な資料を送り見てもらうと、『とにかく何だか分からないくらい凄いダイヤモンドだ!』とリーディングした。そして、追伸のFAXには、『田村さんはダライ・ラマに会う必要がある。彼はエイトスター・ダイヤモンドをチベットと世界を救うために仏像に入れるだろう』とあった。
あまりにも唐突すぎて脈略のない話。周囲の誰もが『有り得ない話だ』と思っていた。
1989年1月

シャーリー・マクレーンとの出会い、そして蘇る前世の記憶

突然に、『アウト・オン・ア・リム』の著者本人から「ダイヤモンドを見たい、不思議な話を聞きたい」と電話があった。ケヴィン・ライアーソンの紹介だった。
シャーリーのマリブの別荘にて初対面を果たす田村。完璧なカットで磨かれたダイヤモンドを見せ、時空を超え歴史・伝統との融合を成した不思議な話を伝えると、「エイトスターこそが中世の錬金術師たちが探し求めた賢者の石だ」とシャーリーは感嘆の声を上げた。 そして別れの時、間違えて押したトイレの警報機が鳴り響く音の中で田村は初めての体験をする。シャーリーと別れのハグ。服は消え、肉体は消え、警報機の音さえも消える中で懐かしい思いだけが心に広がり、幾度も“ おかあさ~ん”と叫ん でいた。 半年後の1989年7月、シャーリーとニューヨークのレストランで再会。前世の記憶なのだろう、時を忘れて二人は親子として抱きしめ合たった。シャーリー・マクレーンの書いた本によって魂の世界を目覚めさせられた田村と、エイトスター・ダイヤモンドに引き寄せられ出逢ったシャーリー・マクレーン。出逢いが導いた前世の‘親子の記憶’であった。
1989年7月

ダライ・ラマ14世との出会い〜エイトスターの奉納

チベットの修行僧をしていた前世があるとケヴィンから告げられていた田村。 精神世界の先駆者宅での小さな集まりで初対面の女性から言葉をかけられる。『あなたチベットにいた事があるんですけど…』。彼女はニューヨーク在住のヒリヤー和子さん(映像作家 龍村仁氏の姉)。ダライ・ラマとは友達だと言う。ケヴィンが言っていたダライ・ラマとの有り得ない関係性が現実へと変わる一言だった。
ヒリヤー和子さんの尽力で、7月21日ニューヨークのホテルの一室でダライ・ラマ十四世に謁見。エイトスター・ダイヤモンドのこと、ケヴィン・ライアーソンのビジョンのことを説明すると、『このダイヤモンドを入れたい仏像が二つある…。仏陀がわれわれを守っているように、われわれも仏陀を守らなければならない。しかし残念ながら、一つの仏像は守られていない』と言葉が返ってきた。
この後1991年2月3日、法王の亡命先である北インドのダラムサラにある法王の自室に鎮座する、チベット伝来の木製60センチほどの仏陀の胸に0.5カラットのエイトスター・ダイヤモンドを奉納
同年4月にはエイトスターのお客様が自身の2キャラットのエイトスター・ダイヤモンドを法王に寄贈。ダラムサラの集会場にある仏像の眉間、第三の眼に納められた。
1989年12月

『地球はダイヤモンド』発刊

畑違いだったダイヤモンドに何故取り組んだのか?何の目論見もなく、何の企てもなく、ただひたすら感じるままに突き進んだ道程を日記の如く書き綴った本
を田村は出版した。そこには、それまでのダイヤモンド業界、ダイヤモンド市場の実態が克明に綴られている。そして、田村の使命を担ったダイヤモンド革命だと思える歩みがめくる頁に克明に記されている。
たか・され倶楽部
1991年2月

インドの聖人 サティア・サイババとの出会い

ダライ・ラマ14世にエイトスターを納めた後に寄った南インド。霊的指導者サイババのアシュラムを訪ねた。サイババに一目会いたさで世界中から何千もの人々が毎日集まるアシュラムの集会では、その場から数人の選ばれた人たちだけがサイババの特別なインタビュールームへ招かれる。
田村はたった一日の滞在にも関わらず、サイババからの手招きを受けた。何日も滞在して毎日アシュラムに通う人たちが多い中、稀なことだった。『悩みはないか…』とサイババに聞かれた田村。エイトスターのことを簡略に説明、その誕生の意味を問いた。応えは、『ダイヤモンドとは……、
それは誰の心にもあるもので、ダイ・マインド(Die Mind)、すなわち、欲望を滅したときに自我・心は平安になるという意味だ。そして、ダイヤモンドのように純粋な美しい心・気持ちとなる。それが、神の心、ディア・マインド(Dear Mind)だ。私にとってのダイヤモンドは、物質的なものではない』
その言葉は、エイトスター・ダイヤモンドの誕生が、物質的な完璧さを満たした上で、それ以上に見えない世界での使命を持つことを強く示唆するものだった。
1991年8月

江本勝氏(MRA)との出会いとエネルギーの科学的解明

全ての形あるものが発している波動を測定する機械を駆使して波動研究を行う波動の第一人者の江本勝氏に会うためMRA総合研究所を訪ねる。 MRA(磁気共鳴分析器)による波動測定は物の波動を測定する事はもちろんの事、驚くことに、その波動をも調整できた。
エイトスター測定後、数値に現れたイライラ(ネガティブ)の波動を調整して消すことになる。そして江本先生が驚く結果は、「すべてのマイナス 波動をゼロ波動にするダイヤモンド=物質になっている。この機械でどんなに波動調整した物質でさえ、外部からの超短波放射線や、人工的につくられているエックス線や電磁波などの科学波動をゼロにすることは不可能だったが、エイトスター・ダイヤモンドはそれらの有害波動をブロックする」という奇跡的なものだった。。その上、波動は永久的に変わらないものだった。
1992年6月

ダイヤモンド選びにEAV機器による測定を世界で初めて導入

★EAV機器との出逢い

『地球はダイヤモンド』を読んで、ハワイ在住の田所教子さんが来店。ハワイで色々な機械を使い治療を行うヒーラー(治療士)だった。 ダイヤモンドと人との相性をなんとか解明したいと思っていた田村を刺激する話「歯の治療に面白い機械を使っている医者」が降って湧いた。
何回かのやり取りの後、そのハワイの歯医者さんが三日間のセミナーを開いてくれることになる。そこで初めてEAV(Electro Acupuncture according to Dr.Voll)と出会った田村は、その最終日に劇的なことを目の当たりにする。日本から用意していったエイトスター・ダイヤモンドの中に、同席していた女性の身体の状態を完璧な数値(気を中庸に調整する)にしてしまうものがみつかったのだ。やはりこのダイヤモンドはすごい、という静かな昂りがその場にあふれ、そんな雰囲気に刺激されてか、通訳にだけ付き合っていた田所さんのご主人がテストしてみる。そして、再び完璧に身体を癒してしまうダイヤモンドが現れた。それは、先の女性のものと違う別のエイトスター。癒さないものがある中で、癒すことをはっきりと示すものがある。「こんなにはっきりと人とダイヤモンドとの相性が合わせられるなら、どうしてもこのシステムを完成しなければならない・・・。新しいことを次々と起こしながら、徐々にダイヤモンドと人との関係が完成していく・・・」と、より強くエイトスターのエネルギー解明に熱意を覚えた田村。
帰国後、EAVを購入して三ヶ月、それは大変な研修期間を終えて、いよいよダイヤモンドと人との相性調べをはじめられるようになった。
そして、このEAVを使用して人とダイヤモンドの相性を確認し、その人に最もふさわしいダイヤモンドを選ぶというシステムを世界で初めて導入したのである。(現在では、更に進んだダイヤモンド選定を実施)
EAVについて

1993年12月

木曜会開始

五階建ての自社ビルの二階は貸スペースとしてテナントが入っていたものの、更新のタイミングで解約となり、田村が考えたのが、学びの場。時々ショールームにて行っていたお話の会を、もっと多くの人達が集まれるスペースで、様々な方面の先生に登壇いただき、お話を伺う事で共に学ぼう、というもの。至急に手を入れ、設けられたスペースは、「天は我々にどんな夢を描き、託しているだろうか…」と田村が心に問うて「スペース天夢」と名付けられました。以来、現在に至るまでほぼ毎週木曜日にお話しの会「木曜会」を開催中
※会場入口に飾られた二つの額は、オープンのお祝いに筆を執ってくださった大徳寺昭輝先生の書。
木曜会スケジュール
1995年12月

新潟ショールーム オープン (〜2001年9月クローズ)

1996年5月

大阪ショールーム オープン

大阪駅前第一ビルの6階に所有していた部屋を、ショールームとして改装。それまで東京まで足を運んで下さった関西地域の方々にも気軽にご利用いただける場となった。木曜会のビデオ上映も開催。時には田村の講話会を行っている。
1995年5月

相性研究所の発足(土曜会)

EAV機器の導入により様々な商品が持ち込まれて測定する機会が多くなる。取り分け、日常で人々が使用する物を測定することを中心として、どんな物が万人に良い(気の流れを中庸とする)商品なのかを研究する会を発足。この土曜会でのEAV測定をパスした「たか・され商品」はエイトスターの季刊誌、HP、SNSで紹介。購入も可能となっている。
毎週土曜日に開催する土曜会は、Youtubeでアーカイブ配信。
たか・され倶楽部 土曜会
1998年 秋

エイトスターが、ダイヤモンドの本場アメリカを制す

エイトスターが完成して約13年。世界で最もダイヤモンドの需要が高い国アメリカで、鑑定機関や宝石協会、輝きを視覚的に表現する会社などが、エイトスターこそが最も美しくカットされたダイヤモンドだと認める。

1.米国宝石学会 (GIA)

世界で最も権威ある米国宝石学会が、世界中から集められた67,000個のダイヤモンドを数年の歳月と数百万ドルの費用をかけて、最新技術を駆使し一つずつ分析した結果、『エイトスター・ダイヤモンドが、唯一コンピューターで作成した理想のモデルに匹敵するカット』だと明らかかにした。(米国業界紙Gems&Gemology誌・1988年秋号より)

2. 米国宝石協会 鑑定研究所(AGS)

ダイヤモンドをかくも精密に研磨できるものだと畏敬の念すら覚える。実際の所、エイトスターは『地球上で最も正確に磨かれたダイヤモンド』である。

3.ダイヤモンド・プロフィール社

ダイヤモンドに入った光が、可視光線としてどの様に飛び出してくるか(分光状態)を測定できる光学機器を製造するダイヤモンド・プロフィール社が、エイトスターが世界最高の輝きを持つダイヤモンドであることを実証

1999年6月

古神道との出合い -悟りと祝詞

山蔭神道第七十九世宗家・山蔭基央先生の教えにより、‘神の想うがままに生きる事’を悟った田村は、先生の指導により名前と誕生日を変える星祭りを受け、会社自室に神棚を祀り、朝晩祝詞を挙げるようになる。人生で初めて神に向かっての行。
以後、「人々にとって、唯一ひとつの必要なダイヤモンドが選ばれる」ことを願い、磨かれたエイトスター・ダイヤモンドの一つひとつに入魂の祝詞を上げている。
※山蔭神道=神道の古儀、古伝を守っており、本来の古神道を引き継ぐものは、現在では出雲両国国
造家とこの山蔭神道だけ。
1999年8月

ミレニアムダイヤモンドに選ばれる

世界最大のダイヤモンド会社デ・ビアス社が2000年を祝って行ったミレニアム(千年祭)。
デ・ビアス社の名とナンバリングが刻まれた世界限定20,000個のダイヤモンドが発表された。世界中から研磨のクオリティを認められた特別な十数社のみが参加する事を許されたこのキャンペーンで、日本国内から選ばれるのは唯一2社。
その1社に選ばれたエイトスターは『エイトスター・ミレニアム』として100個を研磨。さらに、デ・ビアス社名、ナンバリングに加えて、ガードル部分に「8-STAR」の名を刻むことを許可された。千年の節目に、後世へ受け継がれていくダイヤモンドとして相応しい出来事であった。以後、エイトスター・カットは世界中のカッターの手本とされ、ダイヤモンドの本場であるベルギー、アメリカからカッターたちがエイトスターの門を叩いた。
2003年8月

田村によるオンリーワンダイヤモンド選定開始

お客様の右の手のひらに左親指を乗せて自身に伝わってくるエネルギー(頭や胸、お腹に伝わるチリチリやムカムカなどの違和感)を完全に消す“ダイヤモンド選定”を田村により開始。それは、EAVの数値をクリアすると同時に、より見えない世界の恩恵を受けられるダイヤモンドとして、オンリーワンダイヤモンドと名付けられる。 ※2004.9から振り子(ペンジュラム)を使用
2004年9月

書籍『パワーかフォースか』との出会い(意識指数測定開始)

あらゆる物、人には意識があり、その意識は測定が可能だと説かれた本がその本の翻訳者から紹介される。衝撃的な内容。イエスやブッダは意識指数1000、マザーテレサは760、などと書かれている。何を意図した本かというと、「己の意識指数を知り、意図的に意識を高めていく」ことがテーマとなっていた。世の人々が意識的に意識を高めるように生きていけば、穏やかな世の中になっていく、というもの。いかに自分自身を自分以外の人や事の為に使えるか(利他精神)。それが意識を高めていく一番のポイントだという。これにより、肉体(気=EAV)・意識(心=意識指数)のそれぞれを高める究極のエイトスター・ダイヤモンド選びが導入される。
2006年9月

キネシオロジーがダイヤモンド選び、また確認に導入される

「自分の潜在意識が筋肉を通して答えを示してくれる」という考える科学的方法論がダイヤモンド選びに導入される。科学とは再現性があるということ。曖昧で数値化できなかった意識までもキネシオロジーを用いて意識を数値化されるようになる。前記『パワーかフォースか』の著者ホーキンズ博士は「私達の普通の意識(顕在)よりもずっと奥深いレベルにおいて、身体はすでに知っていた、と記している。筋肉があらゆる質問に答えを出してくる、ということ。
2007年9月

ブレッシングワン・ダイヤモンドの誕生

神道の祈り人として活動する日垣宮主先生が筆を執った四国田村神社参拝時の随筆を掲載する小冊子『宮主日誌抄十五』がお客様から届けられる。
「ダイヤモンドを以て石拳(いしつか)の剣となせば、神光あまねく全天に及ぶ。イシコリトメの神が御手に執る神剣、石拳剣、即ち石柄の剣…。」
この一節に田村は引かれ、神の光全天に及ぶなら神剣にエイトスター・ダイヤモンドを入れていただこうと、2001年11月に日垣宮主を訪ねる。
「神剣はこの世の物ではなく、神界のこと」と示され、神剣にダイヤモンドを入れることを断念。その折、「田村さんは、鼓動ダイヤモンド神界から来たからこそ、エイトスター・ダイヤモンドが完成した…」と説かれ、神をお迎えする齋座を創るよう示唆を受ける。
2002年7月磐座の完成。八角形の水晶台に八個の水晶球、その真ん中にエイトスター・ ダイヤモンドを納めて神様をお迎えする。「皇城」と名付けられる。皇城神爾礼拝と太祝詞を日々奏上する中、天孫降臨の瞬間は突然にやって来る。
2007年9月、祈りの最中、突然にダイヤモンド神界と繋がる感覚が降りる。以降、カットが完成したダイヤモンドの意識を神につなぎ、より意識を高める祈りを最終段階として行った。エイトスターの意識指数は前記”パワーかフォースか”で言う最高値に高まり、3次元での最高位の意識となる。祝福されたダイヤモンド”ブレッシング・ダイヤモンド”と名付ける。もっとも必要で神に直結しているという意である。新しいお繋ぎ方法となった。身に付ける人の自然治癒力・免疫力、更には意識を高め、守り、必要な効能が働き、幸せに導く究極のダイヤモンドが、カットの完成から22年を経て、エネルギー体として完成した瞬間でもあった。

まとめ

アール・リンチ氏(アメリカ デ・ビアス社の責任者)の言葉-1986年7月30日

「タカ(田村駿禮)のダイヤモンドは誰が見ても美しい。皆が認めていることだよ。だけれどダイヤモンドは美しいだけでは歴史に残らないんだ。ストーリーを持たなければ、残らない。タカの話したことは、ダイヤモンドがしばらく忘れているロマンを持っている。いまダイヤモンドはスーパー・マーケットでも売られていて、夢やロマンを失って久しいんだ。物語を持ったダイヤモンドは、博物館や皇室の奥深くにしまわれてしまって、ただのダイヤモンドばかりになってずいぶん時が経っているんだよ。タカ、いま新しいストーリーを持ったダイヤモンドがぜひ必要なんだ!」

リンチ氏の言葉通り、エイトスター・ダイヤモンドはストーリーを持ったダイヤモンドとなった。
夢、ロマン、それどころか天の世界が働いて誕生したダイヤモンド。田村がEAVと出会った時から、決められていた道程は、宇宙、大自然、人間の未来のために神様がもくろんだ壮大な計画であり、物語りだった。