エイトスター・ダイヤモンドの歴史
ダイヤモンドの命ともいえる「輝き」。そのあるべき「最高の輝き」は「完璧なカット」でしかもたらされないことが証明されたのです。ダイヤモンド界での革命ともいえるものでした。革命の張本人は宝飾の世界とは無縁の、まったくの素人でした。
多くの成功者がそうであるように、何かを成し遂げるための条件は、とことん追い求める強い探究心、深い考察力が必要ですが、さらに加えて、エイトスター・ダイヤモンドの開発者である田村駿禮たかのり(現:熾鴻たるひろ)の内に備わっていたものは強い正義感でした。
ダイヤモンドの最高の輝きを追及し続け、さらに、その内に秘められたエネルギーの解明にまで真実を求めて歩んだ物語の幕開けは、ある一人の知人が田村を訪れた事から始まります。エイトスター・ダイヤモンドが誕生して何年も経て、エイトスターに触発、牽引されたかのようにダイヤモンド業界でのカットの重要性への意識改革は少しずつではありますが歩みを始めます。
ダイヤモンド ストーリーはこうして始まった…
起点
「世界で一番美しいダイヤモンドはいいけど、俺、ダイヤモンド大嫌いなんだよ。ダイヤモンドは全てが不明瞭でインチキ商品にしか見えない。そんなに言うならば、本当にキレイなダイヤモンドっていう証拠を見せてよ…!」と断る。 7年後、見せたいものがあるというので、彼の事務所を田村は訪ねた。 田村の人生を大きく変えるきっかけとなった器具、ダイヤモンドのカットの良し悪しが一目見て分かるというものだった。
ファイヤースコープとの出会い
ファイヤースコープはダイヤモンドの美しさ、つまり、カットの良し悪しを明確に判別できる器具だった。当初、彼の望みは市場での器具の販売。幾度も説得に通い詰めてきた。田村はある思いで決意する。
- この男の為に
- いい加減に磨かれているダイヤモンドの為に
- いい加減に磨かれているダイヤモンドを買わされている消費者の為に
ファイヤースコープの販売活動開始
美しいダイヤモンドを求め渡米
カッターのスペシャリスト、マスター樋口との出会い (1985年7月 カット工場スタート)

マスター樋口は現在も尚、エイトスター・ダイヤモンドを磨き続けている。
エイトスター・ダイヤモンドの完成

古代シンボルとの合致 – 時空を超えた古いにしえとの繋がり

- 宇宙の真理を表す易学の「正八角方位図」
- 太陽を表す仏陀のシンボル「輪宝」
- 古代アステカの石に刻まれた暦「太陽の石」
- 賢者の石のシンボル「ダビデの星」
東京の四谷にショールームオープン

『アウト・オン・ア・リム』との出会い

戒壇院(比叡山延暦寺)釈迦如来坐像へのエイトスター奉納依頼

比叡山延暦寺の1200年目の御開帳の祭を機に、戒壇院かいだんいんの釈迦如来坐像(最澄の没後1200年前に造られた仏教界では意味のある仏像)復刻を手掛けているとのお話。そして、仏像の第三の眼(百毫)と、頭頂(肉髻珠)にエイトスター・ダイヤモンドを入れたいという申し出だった。歴史・格式ある世界では本来は、この類の仕事は何代も続く専門の宮大工が行うことが常。縁のない無名の会社に白羽の矢が立つことは奇跡だった。
※戒壇院(かいだんいん):天台宗の僧侶が受戒する重要なお堂
修復後に現れた釈迦如来像の太陽線

復刻を終えた像を戒壇院に納める前夜、西村先生は入れた覚えのない手相「太陽線」がお釈迦様の手の平にくっきりと現れていることに気づく。表面を覆っている金箔は一切伸びず、後から新たな手相が入れば金箔は裂けるはず。しかしそれは完璧な線として存在していた。
ケヴィン・ライアーソンとの出会い
あまりにも唐突すぎて脈略のない話。周囲の誰もが『有り得ない話だ』と思っていた。
シャーリー・マクレーンとの出会い、そして蘇る前世の記憶

シャーリーのマリブの別荘にて初対面を果たす田村。完璧なカットで磨かれたダイヤモンドを見せ、時空を超え歴史・伝統との融合を成した不思議な話を伝えると、「エイトスターこそが中世の錬金術師たちが探し求めた賢者の石だ」とシャーリーは感嘆の声を上げた。 そして別れの時、間違えて押したトイレの警報機が鳴り響く音の中で田村は初めての体験をする。シャーリーと別れのハグ。服は消え、肉体は消え、警報機の音さえも消える中で懐かしい思いだけが心に広がり、幾度も“ おかあさ~ん”と叫ん でいた。 半年後の1989年7月、シャーリーとニューヨークのレストランで再会。前世の記憶なのだろう、時を忘れて二人は親子として抱きしめ合たった。シャーリー・マクレーンの書いた本によって魂の世界を目覚めさせられた田村と、エイトスター・ダイヤモンドに引き寄せられ出逢ったシャーリー・マクレーン。出逢いが導いた前世の‘親子の記憶’であった。
ダライ・ラマ14世との出会い〜エイトスターの奉納

ヒリヤー和子さんの尽力で、7月21日ニューヨークのホテルの一室でダライ・ラマ十四世に謁見。エイトスター・ダイヤモンドのこと、ケヴィン・ライアーソンのビジョンのことを説明すると、『このダイヤモンドを入れたい仏像が二つある…。仏陀がわれわれを守っているように、われわれも仏陀を守らなければならない。しかし残念ながら、一つの仏像は守られていない』と言葉が返ってきた。
この後1991年2月3日、法王の亡命先である北インドのダラムサラにある法王の自室に鎮座する、チベット伝来の木製60センチほどの仏陀の胸に0.5カラットのエイトスター・ダイヤモンドを奉納。
同年4月にはエイトスターのお客様が自身の2キャラットのエイトスター・ダイヤモンドを法王に寄贈。ダラムサラの集会場にある仏像の眉間、第三の眼に納められた。
『地球はダイヤモンド』発刊

を田村は出版した。そこには、それまでのダイヤモンド業界、ダイヤモンド市場の実態が克明に綴られている。そして、田村の使命を担ったダイヤモンド革命だと思える歩みがめくる頁に克明に記されている。
たか・され倶楽部
インドの聖人 サティア・サイババとの出会い

田村はたった一日の滞在にも関わらず、サイババからの手招きを受けた。何日も滞在して毎日アシュラムに通う人たちが多い中、稀なことだった。『悩みはないか…』とサイババに聞かれた田村。エイトスターのことを簡略に説明、その誕生の意味を問いた。応えは、『ダイヤモンドとは……、
それは誰の心にもあるもので、ダイ・マインド(Die Mind)、すなわち、欲望を滅したときに自我・心は平安になるという意味だ。そして、ダイヤモンドのように純粋な美しい心・気持ちとなる。それが、神の心、ディア・マインド(Dear Mind)だ。私にとってのダイヤモンドは、物質的なものではない』。
その言葉は、エイトスター・ダイヤモンドの誕生が、物質的な完璧さを満たした上で、それ以上に見えない世界での使命を持つことを強く示唆するものだった。

江本勝氏(MRA)との出会いとエネルギーの科学的解明

エイトスター測定後、数値に現れたイライラ(ネガティブ)の波動を調整して消すことになる。そして江本先生が驚く結果は、「すべてのマイナス 波動をゼロ波動にするダイヤモンド=物質になっている。この機械でどんなに波動調整した物質でさえ、外部からの超短波放射線や、人工的につくられているエックス線や電磁波などの科学波動をゼロにすることは不可能だったが、エイトスター・ダイヤモンドはそれらの有害波動をブロックする」という奇跡的なものだった。。その上、波動は永久的に変わらないものだった。
ダイヤモンド選びにEAV機器による測定を世界で初めて導入
★EAV機器との出逢い
『地球はダイヤモンド』を読んで、ハワイ在住の田所教子さんが来店。ハワイで色々な機械を使い治療を行うヒーラー(治療士)だった。 ダイヤモンドと人との相性をなんとか解明したいと思っていた田村を刺激する話「歯の治療に面白い機械を使っている医者」が降って湧いた。
何回かのやり取りの後、そのハワイの歯医者さんが三日間のセミナーを開いてくれることになる。そこで初めてEAV(Electro Acupuncture according to Dr.Voll)と出会った田村は、その最終日に劇的なことを目の当たりにする。日本から用意していったエイトスター・ダイヤモンドの中に、同席していた女性の身体の状態を完璧な数値(気を中庸に調整する)にしてしまうものがみつかったのだ。やはりこのダイヤモンドはすごい、という静かな昂りがその場にあふれ、そんな雰囲気に刺激されてか、通訳にだけ付き合っていた田所さんのご主人がテストしてみる。そして、再び完璧に身体を癒してしまうダイヤモンドが現れた。それは、先の女性のものと違う別のエイトスター。癒さないものがある中で、癒すことをはっきりと示すものがある。「こんなにはっきりと人とダイヤモンドとの相性が合わせられるなら、どうしてもこのシステムを完成しなければならない・・・。新しいことを次々と起こしながら、徐々にダイヤモンドと人との関係が完成していく・・・」と、より強くエイトスターのエネルギー解明に熱意を覚えた田村。
帰国後、EAVを購入して三ヶ月、それは大変な研修期間を終えて、いよいよダイヤモンドと人との相性調べをはじめられるようになった。
そして、このEAVを使用して人とダイヤモンドの相性を確認し、その人に最もふさわしいダイヤモンドを選ぶというシステムを世界で初めて導入したのである。(現在では、更に進んだダイヤモンド選定を実施)
EAVについて
木曜会開始

※会場入口に飾られた二つの額は、オープンのお祝いに筆を執ってくださった大徳寺昭輝先生の書。
木曜会スケジュール
新潟ショールーム オープン (〜2001年9月クローズ)
大阪ショールーム オープン
エイトスターが、ダイヤモンドの本場アメリカを制す
エイトスターが完成して約13年。世界で最もダイヤモンドの需要が高い国アメリカで、鑑定機関や宝石協会、輝きを視覚的に表現する会社などが、エイトスターこそが最も美しくカットされたダイヤモンドだと認める。
世界で最も権威ある米国宝石学会が、世界中から集められた67,000個のダイヤモンドを数年の歳月と数百万ドルの費用をかけて、最新技術を駆使し一つずつ分析した結果、『エイトスター・ダイヤモンドが、唯一コンピューターで作成した理想のモデルに匹敵するカット』だと明らかかにした。(米国業界紙Gems&Gemology誌・1988年秋号より)
ダイヤモンドをかくも精密に研磨できるものだと畏敬の念すら覚える。実際の所、エイトスターは『地球上で最も正確に磨かれたダイヤモンド』である。
ダイヤモンドに入った光が、可視光線としてどの様に飛び出してくるか(分光状態)を測定できる光学機器を製造するダイヤモンド・プロフィール社が、エイトスターが世界最高の輝きを持つダイヤモンドであることを実証
古神道との出合い -悟りと祝詞
以後、「人々にとって、唯一ひとつの必要なダイヤモンドが選ばれる」ことを願い、磨かれたエイトスター・ダイヤモンドの一つひとつに入魂の祝詞を上げている。
※山蔭神道=神道の古儀、古伝を守っており、本来の古神道を引き継ぐものは、現在では出雲両国国
造家とこの山蔭神道だけ。
ミレニアムダイヤモンドに選ばれる

デ・ビアス社の名とナンバリングが刻まれた世界限定20,000個のダイヤモンドが発表された。世界中から研磨のクオリティを認められた特別な十数社のみが参加する事を許されたこのキャンペーンで、日本国内から選ばれるのは唯一2社。

田村によるオンリーワンダイヤモンド選定開始
書籍『パワーかフォースか』との出会い(意識指数測定開始)

キネシオロジーがダイヤモンド選び、また確認に導入される
ブレッシングワン・ダイヤモンドの誕生

「ダイヤモンドを以て石拳(いしつか)の剣となせば、神光あまねく全天に及ぶ。イシコリトメの神が御手に執る神剣、石拳剣、即ち石柄の剣…。」
この一節に田村は引かれ、神の光全天に及ぶなら神剣にエイトスター・ダイヤモンドを入れていただこうと、2001年11月に日垣宮主を訪ねる。

2002年7月磐座の完成。八角形の水晶台に八個の水晶球、その真ん中にエイトスター・ ダイヤモンドを納めて神様をお迎えする。「皇城」と名付けられる。皇城神爾礼拝と太祝詞を日々奏上する中、天孫降臨の瞬間は突然にやって来る。
2007年9月、祈りの最中、突然にダイヤモンド神界と繋がる感覚が降りる。以降、カットが完成したダイヤモンドの意識を神につなぎ、より意識を高める祈りを最終段階として行った。エイトスターの意識指数は前記”パワーかフォースか”で言う最高値に高まり、3次元での最高位の意識となる。祝福されたダイヤモンド”ブレッシング・ダイヤモンド”と名付ける。もっとも必要で神に直結しているという意である。新しいお繋ぎ方法となった。身に付ける人の自然治癒力・免疫力、更には意識を高め、守り、必要な効能が働き、幸せに導く究極のダイヤモンドが、カットの完成から22年を経て、エネルギー体として完成した瞬間でもあった。
まとめ
アール・リンチ氏(アメリカ デ・ビアス社の責任者)の言葉-1986年7月30日
「タカ(田村駿禮)のダイヤモンドは誰が見ても美しい。皆が認めていることだよ。だけれどダイヤモンドは美しいだけでは歴史に残らないんだ。ストーリーを持たなければ、残らない。タカの話したことは、ダイヤモンドがしばらく忘れているロマンを持っている。いまダイヤモンドはスーパー・マーケットでも売られていて、夢やロマンを失って久しいんだ。物語を持ったダイヤモンドは、博物館や皇室の奥深くにしまわれてしまって、ただのダイヤモンドばかりになってずいぶん時が経っているんだよ。タカ、いま新しいストーリーを持ったダイヤモンドがぜひ必要なんだ!」
リンチ氏の言葉通り、エイトスター・ダイヤモンドはストーリーを持ったダイヤモンドとなった。
夢、ロマン、それどころか天の世界が働いて誕生したダイヤモンド。田村がEAVと出会った時から、決められていた道程は、宇宙、大自然、人間の未来のために神様がもくろんだ壮大な計画であり、物語りだった。